

わすれもの
実家で父の遺品整理をしたあと、自分の家に帰って来た時の話です。 父の遺品はそんなに多くなかったし、几帳面な父らしく、タンスの中や押し入れの中のいろいろな物は丁寧にまとめてられていたので、特に大変ではありませんでした。ほとんど同時期に亡くなった母の遺品整理はめちゃくちゃ大変でしたが… 捨てる物と、誰か身内に形見分けとして譲れそうな物とを分類し、別々の箱に入れて、自分の家に帰りました。帰る途中で、私自身が父の形見として持っておける物を、取り分けてなかったことに気付きました。 明日、見つけようと思い、何か父の思い出になるものがあったかな?と電車の中で考えながら、家に帰りました。 翌日、父の弟や甥たちが父の形見を何か欲しいと連絡してきたので、私はまた実家に行って叔父たちを迎え、彼らが欲しがった父の洋服や筆記用具、本などを持って帰ってもらいました。私も何か形見として持って帰ろうと思っていましたが、もう何も残っておらず、仕方なく手ぶらで帰りました。 帰る時、実家の玄関の鍵を閉めた瞬間、ガチャっという音とともに、なんだか人の声のようなものが聞こえました。...
2025年11月23日読了時間: 3分


夢の話
ある夜、フッと目を覚ますと、寝ている私の横に小学生くらいの男の子が立っていました。その子はフワフワっと煙になって私のお腹の中に入って来ました。多分夢ですが、リアルでした。その後すぐに妊娠がわかり、私は十月十日後に男の子を出産しました。 それから二、三年後、また夢の中の話ですが、川で舟に乗っていた私は、小さな女の子が乗った舟とすれ違いました。女の子は私の方を見ましたが、そのまま通り過ぎていき、私は夢の中で、「この子はうちには来ないんだな」と思いました。 そしてさらに一年後、私はまた川で舟に乗っている夢を見ました。そしてすれ違った舟を見ると、誰かに抱かれた男の赤ちゃんが乗っていて、抱いていた誰かが赤ちゃんを私のほうに放り投げたのです。私はびっくりして、必死でその赤ちゃんを抱き止め、「ああ、良かった」と胸をなでおろしたところで、目覚めました。当時、どんこ舟で川下りをする観光地に住んでいたので、そんな夢を見たのだろうと思っていました。その夢のあと妊娠がわかり、十月十日後、男の子を出産。 子どもたちが小さい頃は、時々それらの夢を思い出して、なんだか不思議な
1月22日読了時間: 2分


鳥に乗って
次男は小さい頃、よく風邪をひいていました。風邪は必ずと言っていいほど酷くなり、喘息様気管支炎や肺炎になり、入院するというパターンでした。 その日も風邪から肺炎になり、あと一日熱が下がらなかったら明日から入院ということを医師から告げられていたので、私は体がきついせいで機嫌が悪く泣いてばかりの次男をあやしながら、入院準備を進めていました。 ふと気が付くと、外で鳥の鳴き声が聞こえてきました。私が泣いている次男を抱っこしながら窓の外を見ると、ヒヨドリの幼鳥がベランダの手すりに止まっていたのです。 「鳥さんの赤ちゃんがいるよ」 話しかけると、次男は泣き止み、窓の外を見て言いました。 「鳥さんの赤ちゃん?お母さんを待ってるの?」 「そうだね。巣立ちしたばかりの子どもかな?」 しばらく二人で見ていると、親鳥らしき大人のヒヨドリが幼鳥のそばに飛んできて、隣に止まりました。二羽はしばらく鳴き合った後、一緒にパーッと飛び立ち、空高く飛んで行きました。 「お母さんが迎えに来たんだね。良かったね」 と私が言うと次男は 「あれはおじいちゃんだよ。」 と言うのです。そうか、
2025年12月18日読了時間: 2分


幻聴ではない…
子どもの頃、ピアノ教室に通っていました。 レッスンルームが併設されている先生の自宅に習いに行っていたのですが、私がレッスンを受けている部屋の他に、もうひとつレッスンルームがあったと記憶しています。 その日、いつも習っている部屋でレッスンを受けていると、かすかにどこからかピアノの音が聞こえてきました。先生と一対一のレッスンだったので、他の生徒と遭遇したことはなく 「あれ?」 と思って先生を見ると、なんだか真っ青な顔をしており、びっくりした私は 「先生、大丈夫ですか?」 と尋ねました。先生はそれには答えず 「基朋ちゃん、なにか聞こえる?」 と聞いてきました。 「ピアノの音が聞こえますけど…私の他にも生徒さんが来ているんですね。もうひとつの部屋で練習しているんですか?」 「…なんの曲かわかる?」 「…先週くらいに私も弾いていたバッハのインベンションですよね?」 「…やっぱり聞こえるんだ…」 先生はそれだけ言うと、 「今日のレッスンはここまでにしましょう」 と言って、その日のレッスンは終わりました。 家に帰って、母に今日のレッスンの内容と、なんだか様子が
2025年11月15日読了時間: 3分


あの世からの采配
亡くなった母は、兄のことをとても可愛がっていました。小さい頃からずっと、大人になってからも、母の兄への愛情は多大でした。そして妹の私に「お兄ちゃんの言うことをよく聞いて、お兄ちゃんの力になってあげなさい」と、ことあるごとに言っていました。昔は長男はその家の跡取りという考え方から、長男を大事にするという人が多くいて、母もそういう考え方だったのでしょう。母の一番は、父でも娘の私でもなく、兄だったと思います。 両親が亡くなったあと実家を処分し、それまで実家に住んでいた独り者の兄は、1人で自分の気に入った土地に家を借りて住むことにしたようです。ところが、初老の男の一人暮らしに世間は冷たかったようで、なかなか家が借りられず、やっと借りられた家の大家さんから、血のつながった保証人を立ててくれと言われたようで、私に保証人になってくれと連絡してきました。 「近いうちにそっちに行く。保証人の書類には、お前の印鑑登録証明書の写しを添付しないといけないから、役場で取って来ておいてくれ」 と言われました。ところが私は、そのことをすっかり忘れていました。...
2025年11月14日読了時間: 3分


風に乗って
母が亡くなり、お葬式が終わって自宅に帰って来た日の夜の話です。 夜の10時過ぎくらいに、一緒に住んでいる長男が私の部屋に来て、 「玄関のドアを誰かが叩いてる」 と言うのです。 ドンドンドンと大きな音がしていると言われましたが、私にはどういうわけか、聞こえませんでした。 「風の音じゃない?」 と軽く答えて私はベッドに潜り込みました。すごく疲れていたのです。 その夜、夢を見ました。母がよく着ていたお気に入りの薄紫色のワンピース姿で、楽しそうに風に乗って空を飛んでいるのです。 「ああ、お母さん、願いが叶ってよかったな」 夢の中で、飛んでいる母を見ながらそう思いました。 目が覚めてハッとしました。母は亡くなる数年前から足が不自由になって、思うように行動できなくなっており、それをいつも嘆いていました。そして 「死んだら天国に行く前に、風に乗って、行きたかった場所に行ったり、会いたかった人に会いに行ったりするんだ」 と言っていたのです。 昨夜、ドアをたたいたのは母だったのかもしれません。風に乗って私の家まで来たのかな。「来たよ」って初孫の長男に知らせたあと、
2025年11月3日読了時間: 1分


母の青い花
父が亡くなった日、お通夜に車椅子の母を連れて行きました。父が亡くなった瞬間から感情を無くしてしまったように、ただ呆然と座ったままの母に向かって 「行くよ」 と言うと、母は微かにうなずきました。 お通夜が行われる会場に入り、花でいっぱいの祭壇を見た瞬間、母の顔がパッと明るくなり 「良かった。昨日の夜、お父さんと二人でここに来て、ここでお葬式しようって決めたんだよ。青いデルフィニウムの花が沢山飾ってあったから。」 花に詳しい母らしい言葉だけど、昨夜の父は危篤状態で母と二人でここに来るはずもなく、母は、父の死のショックでおかしくなったのか、と思いました。 こういう時は否定してはいけないと思い、 「そうか。綺麗な花がたくさんでよかったね。この色はお母さんが好きな色やもんね。」 私はそう言いながら、車椅子を押して祭壇の前に安置してある父の棺に近づきました。その時、祭壇の花の中に立つ父の姿を、確かに見たのです。 「あ、お父さん…」 そして母の目線も、立っている父に注がれていたように見えました。でも母は何も言わず、私たちは、次第に薄くなって消えていく父の姿を見
2025年10月20日読了時間: 2分


どんこ舟の神さま
長男が小学生、次男が幼稚園児だった頃、川下りが観光のメインになっている福岡県柳川市に住んでいました。 ある日、町内の子供会の行事で、親子で川下りのどんこ舟に乗りました。私たち親子の他にも、同じ町内の何組かの親子が一緒に乗っていました。 次男はあまり体が強くなく体力も無かったので、何かの行事ごとがあると、必ずと言っていいほど熱を出していました。その日も私は次男のことが心配で見守っていたのですが、次男は思いのほか機嫌が良く、終始笑顔で過ごしていたようだったので、ホッとしていました。 川下りが終わってどんこ舟を下りた時、次男は私にこう言いました。 「おふねに神さまがいたねえ」 「えっ?神さま?」 「うん、おばあちゃんの神さま。僕とお兄ちゃんを見て笑ってた。いい子でねって言って消えちゃった」 よく分からなかったので、そうなんだ、と言ってそのまま終わったのですが、その日の夜、 夫の実家から電話があり、夫の父方の祖母、子どもたちの曾祖母が亡くなったということでした。 「おふねに乗っていた神さまは、ひいおばあちゃんだったのかな?」 と息子たちと話しました。..
2025年10月13日読了時間: 1分


先帝祭の夜
私が子どもの頃の話です。 小学2年生から4年生まで山口県下関市に住んでいました。その昔、壇ノ浦の戦いで源氏が勝ち、平家の人々が海の底に沈んでいった場所です。下関では平家の人々と幼くして亡くなった安徳天皇の霊を鎮めるため、先帝祭というお祭りがあります。安徳天皇に扮した子どもと、華やかな着物を着て女官に扮した人たちが行列をなす様は美しく、子どもの私は「大人になったら、この行列に参加したい」と思っていました。 今は違うかもしれませんが、私が子どもの頃の先帝祭は日のあるうちに開催され、夕方になると見物していた人々もみんな家路につき、人通りはまばらになっていました。 私の家は高台にあり、先帝祭の行列が通るメインストリートがよく見える場所で、わざわざ苦手な人混みに行くよりも家から見物して楽しんでいました。 ある年の、先帝祭が終わった夜のことです。私は寝ていたのですが、外がざわざわとしているような気がして起きました。夜中の2時くらいだったと思います。すぐ近くに青果市場があり、朝の4時くらいになると市場で働く人々のざわめきのような音が聞こえてくることがあったので
2025年10月5日読了時間: 2分


















